気づいたらレンズにいっぱい黄色い花粉が乗っていた。
「Harry Potter and the Deathly Hallows: Part2」を観てきた。
3Dグラスの右端が調子悪く、交換のタイミングも逃し、それが気になっていまいち集中できない。正面向いてたら見れるからそうしてればいいのだけれど、顔を少し左に向けるととたんに2重映像になるのを、なぜか何度もやってしまう。
怪我すると、傷口さわりたくなる性質。
スネイプのくだりあたりから、2つ隣の女性が号泣。
気持ちはわからんでもないけど、鼻水すすりすぎていていまいち集中できない。
シアター出ると強烈な立ちくらみ。治まっていたはずの、ここ数日続いていた頭痛がぶり返す。3Dなんて、体調悪いときに見るもんじゃない。
CSIって、ロスのやつが正規シリーズなんだな。知らんかった。NYとMIAMIがスピンオフだったとは。 とにかく、まだ見てないものが相当あるということみたいなので、スタートレックの 隔週DVD(ディアゴスティーニのやつ)が終了してしまった今、これからしばらくはCSI漬けの予定。
ところで、ディアゴスティーニのやつだけで、ざっくり計算してスタートレックを390話ぐらい観て、(多分それだと存在する全エピソードを観ていないという計算になるのだけれど、)このスタートレックってやつの魅力の一つはその馬鹿げたボリュームだと考えるに至った。
宇宙船の中での日常(その内容は十分に非日常で非現実的だが)を何百回と観ていると、その経験を共有しているような感じになってくる。だから、最終回とかになると、わざわざ回想シーンをつっこまれなくても、あんなこと、こんなこと、が勝手に走馬灯のようによみがえってきて感動でいっぱいになってしまう。
さらに、キャラクターについての理解が、そもそも制作者によって設定されている以上のものになってくる。「ああ、そうだよね、あそこに2時間で着かなきゃいけないんだったらワープ9で航行しなきゃだめだよね」とかいう設定のテクニカルなことではなく、「ああ、そこでキャプテンにそんなこと言われたらあなたはすねるよね。ちょっとツンデレなところがあって、あの時も同じような態度だったもんね、うんうん。」みたいな。これも、馬鹿げた量を観ないと起こらないことなんじゃないかと思う。
時間だけがなし得る感情への作用(恋愛の傷は時間でしか癒えない、みたいな)があるとしたら、この馬鹿げた量のドラマってのはその一種なのではないかと思う。2時間の映画とかではなかなか達成し得ないものでないかと思うわけだ。
どうでもいいか。
最近読み終わったり、読み始めたりした本。
・「通貨燃ゆ」 谷口智彦
・「日本経済の罠」 小林慶一郎 加藤創太
・「The Girl with the Dragon Tattoo」 / 「The Girl Who Played with Fire」 / 「The Girl Who Kicked the Hornet's Nest」Stieg Larsson
・「Kane and Abel」 Jeffrey Archer
(洋書は全てkindle)
「The Girl...」シリーズは、話が裁判ざたになる3作目が好み。ただ、ここに行き着くまでに最初の2作は避けて通れず、そしてそれらには(若干無駄に)残虐なシーンが多いので、人には薦めにくい。
「Kane and Abel」が傑作だった(陳腐な表現だ)。人に本を薦めることはそもそも非常に技術のいることなのであえてそんな試みはしない(評論などできないので、結局はだらだらとあらすじを説明する羽目になる。そんなふうにあらすじを説明されるのなんて、前夜見た夢の内容を話されるくらい迷惑なことであるはずだ)が、誰か読んでくれないかなあと思っていたりする。
トリロジーのようなので、続編の「Prodigal Daughter」をAmazonでKindle用に買った。また寝られない夜が続く。
知らない英単語に遭遇したときに、「辞書がそのままひける」「なんだったらそのままググることだってできる」ってのが便利すぎて、もう紙の本には戻れそうにない。