another vulture?

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IMG_5306-750.jpg


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ケビンカーターがスーダンで、
餓死寸前の少女をハゲワシが狙う写真を撮影し、
ニューヨークタイムズ紙に掲載されたその写真は、
ピュリッツァー賞をとると共に、
多くの批判も招き、
それを苦にして本人が自殺する。

"The man adjusting his lens to take just the right frame of her suffering,
might just as well be a predator,
another vulture on the scene."
(The St. Petersburg Times)

報道と人命のどちらをとるのかという論争。

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秋葉原の件を見ていると、
カメラを手に何をすべきかという問題は、
報道に従事する人間のみがもつジレンマではなくなっているのだと
改めて実感する。
携帯電話を含め、たくさんの人が撮影機材を持ち歩いている。
秋葉原では、実に多くの写真が、報道関係者でない人々によって撮影されたのだ。

カメラを手に、どの行動を選択するか。
人の身に起こったことを記録することを生業として選んだ人々でさえ,
答えを出すのに苦しむジレンマ。

権利には、義務が伴う。
そして、義務が正確に認識されるまでに多くの間違いが生じることがある。
通りすがりに遭遇した報道価値のある何かにカメラを向けるとき、
another vultureになり得るのか、また、なる覚悟は出来ているのか。

興味深い時代になった。

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コメント(3)

War Photographerの中でJames Nachtweyが似たようなジレンマについて語っていたことを思い出しました。

Naoyan:

あー、そーだね。確かにそういうくだりがあった。
って、彼らみたいな職業の人がそういったジレンマにぶち当たってるのは、もうほんとにクラシックなことであると思うんだよね。カメラで報道する人たちの非常にクラシックなジレンマ。

それが、カメラの普及で一般の人にも広がりつつある。特にそういった意識はなく。
それが非常に興味深いなあって思ったんだよね。

阪神大震災のときも、同様のことが言われたよね。
崩れた家屋のそばで、まだ生き埋めになってる誰かを探す作業を見たとき、
撮るのか、撮らずに手助けするのか。

地震の取材には何度か行ったけど、
そんなギリギリの場面に出くわしたことはまだない。

いつか来るかもしれないそんな場で、自分がどうするのかどうするべきなのか、
いま考えてもまったく答えが出ない。

たしかに、あたしたちだけやなくて、
ごくフツーの人もそういうジレンマを抱える時代なんやね。
1億総カメラマンやもんなぁ。

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