
作為と無作為。
そのはざま。
作為がすぎて、
キレイに収めてしまうと、収まりが良すぎる写真になってしまうし、
だからといって無作為にすべてをまかせてしまうと、
それはそれで、収集がつかなくなってしまう。
どの程度の作為と、どの程度の無作為か。
それとも、作為で無作為をコントロールすればいいのだろうか。
コントロールされた要素は、無作為と呼べるのだろうか。
いや、そんなことはもともと可能なんだろうか。
だいたい、こんな思考自体、
写真について有意義なんだろうか。
無作為と、偶然と、手に負えなさ。
それくらいしかなかった頃に押したシャッターは、
自分が撮ったとは思えない結果を切り取っている。
驚愕。
作為に魂を売り渡すのは簡単だった。
無作為の谷に飛び降りていったんリセットしてみれば、
新しい魂が戻ってくるのだろうか。
でも、飛び降り方すらわからない。
それが今の状況か。
**********************
スタートレック面白すぎ。
また、隔週スタートレック買い始めてしまった。
うらやましいと思っているそこのあなた、(多分、数人いると思われる)
うらやみなさい。
**********************
あ、やっぱ、
作為的に撮ればいいのか。
事象を、無作為・偶然的に起こさせとけばいいんだな。
それだけのことか。ってか、それが大切なことか。
対象を自分の作為でどうこうしようとしてたから、ややこしいんだな。
let it beってことか。
こんなこと、前は当然のようにわかってたことだったのに。
作為をのさばらせすぎてたみたいだな。
コメントする